« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »

2005年12月

2005年12月30日 (金)

元旦も武田山へいらっしゃい

 今年も残すところあと1日となりました。
 振り返ると、3月13日の総会で30年ぶりに保勝会の活動が再開し、3回の登山会、ホタルの放流、火山公園の整備、武田山ガイドツアーを始めとするひろしま八区覧会・八区物館への協力など様々な活動を行ってきました。
 どの行事も多くの方の支援と協力により成功をおさめ、公民館や他のボランティア団体とも協力し、活動の輪が大きく拡がってきています。
 一方で中越地震や台風などの自然災害、小学生の命が奪われる痛ましい事件の続発など、悲しいニュースの多い年でもありました。来年も引き続き、憩いの里山づくりの取り組みを通じて、人と人とが信じ合える、子ども達が安心して生活できる社会の実現に少しでも貢献したいと考えています。

 さて、平成18年(2006年)のスタートを武田山で迎えてみませんか?
 広島市と合併する前の旧祇園町時代の昭和39年(1964年)より、体協主催の武田山初登山が連綿と続いています。最盛時には1,200~1,300人もの参加者が頂上を埋め尽くしていたとの記録もあります。

 昨年は素晴らしいご来光を拝むことができました。今年は、あいにくの大雪で体協の行事としての初登山は中止となりましたが、あきらめの悪い30人あまりの人が雪道を登りました。雪と霧で視界の効かない頂上でしたが、夜明けとともに霧が晴れ幻想的な日の出を見ることができました。
 来年の元旦は、予報では初日の出を拝むのは難しそうな天気となっていますが、登ってみないことには、何が起こるかわかりませんよ。年越しのお酒をちょっぴり控えて、早起きしてみましょう!

 山本学区体育協会主催の初登山の要項は次の通りです。(他の地区の方はそれぞれの体協にお問い合わせ下さい)登りは真っ暗なので懐中電灯と、日の出を待つ間冷え込むので防寒対策の用意はお忘れのないようお願いします。

            武 田 山 初 登 山  

 ・期   日 平成18年(2006年)1月1日(元旦)

 ・集合時間 午前5時30分

 ・集合場所 東山本・立専寺

 立専寺(山本9丁目21-16)の地図はこちらをクリックして下さい

 今年1年の皆様のご協力に感謝しつつ、来年が素敵な年になりますようお祈りいたします。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005年12月24日 (土)

武田山からクリスマスプレゼント

 時ならぬ寒波の到来で各地で停電などの被害が相次ぎ、ロマンチック気分にはなれないクリスマス・イブですが、保勝会からの一足早いクリスマスプレゼントをお届けします。
 「ひろしま八区覧会・八区物館」の安佐南区のイベントで、去る9月19日に行われた「武田山シンポジウム」での基調講演の記録をまとめて10月2日の武田山ガイドツアー・史跡めぐりの“おみやげ”として参加者に配布したことは既にお知らせしているところですが、このたび講演者の広島大学教授の三浦先生、主催者の安佐南区役所区政振興課様よりこのホームページでの公開の許可をいただきました。

=====================================================

 【シンポジウムに参加されていない方のための当日の概略】

 シンポジウムでは、広島経済大学の学生さんの作成したプロモーションビデオの上映、基調講演、パネルディスカッションが行われ、日本の古建築に関する文化財学がご専門で広島市文化財審議会委員などを務めておられる広島大学大学院文学研究科教授の三浦正幸先生が基調講演を行いました。講演の1週間前に登ったのが武田山への初登山だということでしたが、私たち素人が何度となく通っていても全く気づいていなかった館跡北側の「仕切門」の存在などを、復元図なども駆使して説明され、銀山城が中世の山城としては全国有数の規模を持つものであることを詳しく語られました。
 講演のあとのパネルディスカッションにも保勝会の村越顧問、郷土史家の村岡先生等とともにパネラーとして参加され、現在の県指定の史跡にとどめず国の史跡に指定されるべきだと語られました。また、国の史跡化の条件として、「史跡自体のもつ価値」「地元住民の熱意と活動」という二つはそろっており、あとは「地元教育委員会がいかに頑張るかだ」と指摘をされました。

=====================================================

 この基調講演とパネルディスカッションでの三浦先生の発言をまとめたものを、PDF形式のファイルにしています。大きいサイズのファイルも小さいサイズのファイルも内容は同じで、収録している図版の解像度が異なります。お使いの回線に応じてダウンロードして下さい。

  大きいサイズのファイル(4.30MB)をダウンロード

  「小さいサイズのファイル(0.98MB)をダウンロード

 なお、この記録については、公開の許可はいただいておりますが、内容についての監修は、三浦先生、安佐南区区政振興課様のどちらにも一切していただいておりません。講演内容の聞き間違い、理解不足による文章の誤り、誤字・脱字などの不備については記録者の責任に帰すべきものです。これらの点について三浦先生ならびに安佐南区区政振興課様に問い合わせることは決してなさらないようお願いします。

 また、このシンポジウムの後、三浦先生は、12月12日に広島県立祇園北高等学校の「郷土学」の講座で「銀山城と広島城」と題した講演をされています。この講演には保勝会の幹事数名が参加をさせて頂きました。この場をお借りして、快く参加の許可を下さった金岡校長先生をはじめ講演者の三浦先生、寒い体育館の中で真剣に話しを聞いていた祇園北高校の生徒の皆さんにお礼申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月11日 (日)

ホタルの放流&被爆桜の植樹無事終了

 10日(土)、予定通りゲンジボタルの幼虫の放流と被爆桜2世の植樹を行いました。
 参加者はボーイスカウト安佐第4団の子ども達など計40名。渡辺西公民館長がこれまでの取り組みの経過を説明し、川本、稲田副会長が挨拶をのべた後、川原におりてバケツに分けられた幼虫を合図の元一斉に放流しました。幼虫は同じ時期に産まれ同じ環境で育てられたのですが、25mm近くあるものからまだ数mmのものまで様々です。天敵に一度に食べられたり環境が急変したりで全滅することのないようにという自然の知恵なのかもしれません。
 放流ののち火山公園に移動し、被爆桜2世の苗3本の植樹を行いました。鍬入れは安佐南区役所区政振興課山崎様、祇園西公民館運営委員長橋本様、ボーイスカウトの住友様らにお願いし、吉野建興様ご提供の案内板も一緒に設置し、参加者全員で平和を祈りました。
 解散の後、幹事で苗木のコモ巻きをし、山本川に戻って幼虫がサギなどに狙われないように保護ネットをかけました。
 この日の行事には、広島ケーブルビジョン様、朝日新聞様に取材に来ていただきました。ケーブルビジョンでの放送予定等は次の通りです。

 放送日時 12月19日(月)~12月25日(日)

  11ch HBSコミュニティチャンネル
  「びしゃ丸通信あさみなみ」
   9:00~、13:00~、17:00~、23:00~の1日4回放映

 問い合わせ先
  HBS広島ケーブルビジョン(株)
   Tel 0120-240279
   Fax 082-870-1967
   mail skg@hbs.ne.jp
   homepage http://www.hbs.ne.jp

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 9日 (金)

鉄腕アトムが校歌に出てくる小学校?

 武田山の麓にある広島市立山本小学校の校歌にはもちろん地元の武田山・火山が登場します。

広島市立山本小学校のホームページ゙はこちらです

 校歌の1番の「アトムの街をみおろして」という歌詞が、10月頃にあるコミュニティーサイトの掲示板で、「『アトムの街』って何だろう?鉄腕アトムと関係あるの?」と話題になったそうです。中には山本小学校まで歌詞の由来について尋ねに行った人までいましたが、学校には校歌成立時の資料は残っていなかったそうです。
 祇園西公民館の「山本史をつくる会」が平成13年(2001年)に発行した冊子「ふるさと やまもと」には次のような記述がありました。

 校歌制定

 昭和27年(1952)に入ると、山本小学校の姿を象徴し、児童が親しむ校歌がほしいとの機運が起こってきた。
 そこで、歌詞を一般から公募し、その中から校歌にふさわしい歌詞を、当時の学校長であった向井喜平先生が中心になって選び作詞された。
 作曲は広島大学教官の山本秀先生の力作によるものである。
 昭和27年(1952)11月3日の学校創立記念式で、校歌の発表会と児童の作品展示会が盛大に行われた。

 「アトムの街」という歌詞は小学校の校歌としては、今でも斬新でとてもインパクトのあるものだと思います。
 火山公園からは広島市内一円がみおろせます。保勝会の幹事の養祖氏の話しでは原爆投下直後はこの辺りから見える市内の建造物は福屋と中国新聞のビルのたった二つだけだったそうです。
 校歌の歌詞を寄せた人物が誰かはわかっていませんが、原爆投下から7年間、山本の高台から市内の街並みがよみがえっていく様子をつぶさに見ておられた方なのではないでしょうか。
 たった一発の原爆で廃墟になった広島が、日々復興していく喜びと二度と戦争の惨禍を引き起こしてはならないという強い願いを込めて、この「アトムの街」という表現を使われたという気がしてなりません。

 こんな話しを聞いたすぐあとに、火山公園に被爆桜2世の苗木を植樹する話しが決まり、何か因縁めいた不思議なものを感じています。
 被爆桜2世の植樹は、蛍の放流をおこなってから火山公園に移動しておこなう予定です。蛍の放流に参加される方は引き続き、蛍の放流に参加されない方も午前11時頃にぜひ「アトムの街」をみおろす火山公園においでください。

hotaru-annai

 ←左の図をクリックすると別ウィンドウで大きな地図が開きます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005年12月 8日 (木)

~夜の珠~ 武田山は蛍の里だった

蛍の幼虫の放流がいよいよ明後日に迫りました。
 実はこの地域の蛍は全く姿を消してしまったわけではなく、付近の方にお話しを伺うと、年に何回かは川にスッーと光が横切るのを目撃することがあるそうです。6月にこの付近を調べたところ、中学校の裏や武田山憩いの森でも蛍の幼虫の餌となるカワニナの生息を確認しています。

 頼 山陽(らい さんよう)の叔父の頼 杏坪(らい きょうへい)らがまとめた広島藩の地誌 「芸藩通志(げいはんつうし)」には、現在の山本・祇園・安古市周辺の物産を紹介する中で蛍について次のような記述があります。

 上安、大町、相田村などの川筋に多く、端午の比、殊に多く群り、川を隔てて合戦の体をなせり、其外西山本村茅原の蛍、更に大なり、世にすべて安蛍(やすほたる)と称せり

 アストラムライン高取駅近くの安川沿いにある光明寺には武田信隆が寄進した鰐口(わにぐち→寺社前の軒下につるし参拝者が布で編んだ綱をふり動かして打ち鳴らす仏具)が残されていますが、その鰐口に「夜珠」という文字が刻まれています。
 今は「安」という字をあてていますが、かつてはこの地域を“夜の珠”(よるのたま)と書いて「やす」と呼んでいました。“夜の珠”とはもちろん蛍のことで、武田山の周辺には地名になるほど沢山の蛍が舞っていたことがわかります。その中でも山本の蛍は特に大きくこの地域の代表選手でした。

 蛍の育成は当初、祇園西公民館前の西山本川で行う予定でしたが、夏場水温が高くなることがわかり断念し、また、その上流は大正15年の「山本大水害」の復旧工事で全国的にも珍しい川の三面が石畳の構造で、蛍の成育環境としては適していないことから、東山本川上流が放流地に選ばれたのです。

 いつの日か芸藩通志にある「合戦の体をなす」と形容されるような光景がよみがえればすばらしいと思います。今、その第一歩をようやく踏み出すところです。今後、川の清掃やカワニナと幼虫の飼育の輪がひろがり、その日が一日でも早く訪れるよう皆さんのご協力を引き続きよろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

被爆桜2世の物語

 10日に植樹される被爆桜2世ですが、次のような旅路を経て、火山公園にやってくることになりました。
 (財)広島市動植物園・公園協会様の資料を一部編集して皆さんに紹介します。

============================================================

 広島市役所の新庁舎の建設に着手した当時、旧庁舎の中庭に、3本のソメイヨシノがありました。これは昭和15年(1940年)の紀元2600年を記念して植えられた桜で、昭和20年(1945年)の原爆被災に際して幹を残して焼けながらも、その後、元気に芽ぶき、生き続けているもでした。毎年、桜の季節になると美しい花を咲かせて市職員や市民から愛されていました。

 そのうち2本については、新庁舎建設工事に支障になるため、工事に着手する前の昭和57年(1982年)5月、安佐北区の倉掛小学校の校庭に仮移植されました。残る1本も、外溝工事に着手する前の昭和60年7月、西区の専門業者の農園に仮移植されました。これら3本の桜は、新庁舎の外溝工事が完成した時に植え戻し、他の樹木とともに新庁舎の正面広場に彩りを添える計画になっていました。

 この被爆桜は、植えられて既に40年以上経た老木であるため、移植工事中に万が一枯れる心配もあったため、広島市では昭和60年(1985年)7月の仮移植にあわせて、被爆桜の枝を若木に接ぎ木し、2世を誕生させていました。

 倉掛小学校の校庭に仮移植した2本の桜は、原爆に耐えて生き続ける姿が感動を与え、児童からも愛され、できるならこのまま倉掛小学校に残してほしいという児童の願いも市に寄せられました。

 広島市は、被爆桜が市庁舎の被爆の貴重な証として、広く市民から格別の愛着を持たれる桜であることから、当初の計画通り植え戻すことにしましたが、その代わりに、新しく誕生した被爆桜の2世を同校に贈ることにしました。

 平成16年度(2004年度)から(財)広島市動植物園・公園協会では、被爆桜の苗木を育成し、平和の尊さを伝えるとともに、市民の緑の大切さ及び緑に対する意識の普及を図るため、公共施設への植樹や市民等への配布を行う被爆60周年の協会独自事業を展開しています。 

============================================================

 平和の尊さと緑の大切さのシンボルとして大切に育てていきたいと思います。植樹は午前11時頃から行う予定です。多くの皆さんの参加をお待ちしております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 5日 (月)

被爆桜2世の記念植樹も行います

 被爆60周年を迎えた今年、八区覧会の開催、および火山公園の開園に伴い、広島市から被爆桜2世の苗木の寄贈を受けました。10日のホタルの放流の後、火山公園に移動して3本の苗を植樹します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 4日 (日)

ゲンジボタルの幼虫の放流のお知らせ

 水越峠に向かう新堤の上流の山本川は長年整備をする人もなく、川には台風で倒れた杉の枝などが厚く積もり景観を大きく損ねていました。
 今年6月5日、地元の有志がホタルが飛びかう川に復活させようと、この堰堤から約200m上流までの区間の清掃を行い見違えるようにきれいになりました。
 清掃後は、堰堤の近くに小池をつくり、ホタルの幼虫の餌となるカワニナを育てるなど環境整備を続けてきました。また、太田川水系のゲンジボタル数匹を譲り受け、祇園西公民館などで卵をふ化させ大切に幼虫を育ててきました。水温が低くて死んでしまったり、ヒルに食べられたりと苦労の連続でしたが、1,000匹余りの幼虫が20mm前後に成長し、川に放流する時期となりました。
 下記のとおり、皆さんと一緒にゲンジボタルの幼虫を放流しますので、ぜひご参加ください。

1 日   時  平成17年(2005年)12月10日(土)午前10時より(小雨決行)

2 場   所  鹿ヶ谷から水越峠

3 集合場所 東山本新堤

4 持 参 物 軍手、長靴、長袖の作業服など(各自で用意してください)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »