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2006年3月

2006年3月30日 (木)

ひろしま千客万来賞をいただきました

 うれしいニュースをお届けします。
 保勝会の活動が”ビジターズを増やし千客万来の広島の実現を図る取組として特に優秀である”と認められ、本日、「第2回ひろしま千客万来賞」をいただきました。

 千客万来賞の概要はこちらのページをご覧ください

 表彰式は2時から広島市役所の市長公室で行われ、川本副会長が秋葉広島市長より表彰状を受け取りました。

(本日は祝杯をあげるため詳しい報告はまた後日) 

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2006年3月28日 (火)

やぐらは僕らのロマンです

 前回お知らせした通り、火山公園の「やぐら」がRCCラジオで放送されました。
 幹事の養祖氏、稲田、川本両副会長と(有)吉野建興の吉野様が現地でインタビューを受け、木出しから柱立てまで全て手作業によるやぐら再現の苦労や喜びを語りました。

 ラジオを聞き逃した方のために録音したファイル(wma形式、538KB)を用意しました。
       
 こちらをクリックすると音声を再生します(4分43秒)

 間もなく桜の季節を迎えます。やぐらに登り桜を愛でながら一望する広島市内の景色は格別です。ぜひ火山公園におこし下さい。

hiyamakouen_map ←火山公園の場所はこちらです(クリックすると拡大して表示します)

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2006年3月26日 (日)

27日のRCCラジオをお聞き逃しなく!

 16日に中国新聞で報道された火山公園での中世のやぐら再現の作業ですが、23日には山本小学校5年生の児童139名が武田山登山の途中立ち寄り、予想以上に大きいやぐらの勇姿に驚きの声をあげました。
 6年生になってからの本格的な武田山での学習の準備としての登山で、今年の6年生の史跡巡り・武田山登山に続く取り組みは、山本小学校の新しい伝統として育ちつつあります。

 この日の登山には、保勝会のメンバー7名と5年生の保護者のお母さん方に加えて広島経済大学興動館(こうどうかん)の「武田山プロジェクト」の頼もしい若者3名が同行し、子ども達は弓場跡で弓の試射(武田山プロジェクトの若者は、この日素晴らしい手づくりの弓矢の的を持参しましたが、6年生になってからの楽しみで今回はとっておくことになりました)を行ったほか、下山途中には青原広場の整備の様子、鹿が谷でのホタルの放流について熱心に説明を聞いていました。

 続く25日、26日の両日は、大勢の保勝会メンバーが朝から火山公園に集合し、力をあわせてやぐらづくりに取り組みました。横木を渡してやぐら上部の人が立てるスペースも出現し、いよいよやぐららしさが増してきました。
 (有)吉野建興様には、やぐらに登るためのスギのはしごを作っていただきました。皮付きの丸太の風合いを生かした素晴らしいできばえです

 このように大いに盛り上がっている火山公園ですが、明日月曜日にはRCCラジオが取材にやってくることになりました。
 毎週月曜~金曜の13:00~16:54放送の”本名正憲のきょうもゴゴイチ”という番組の”街角ステーション走れラジオカー”のコーナーで、取材に訪れるのは、注射が苦手、趣味はケーキ作りという 勝 さやか(かつ・さやか) リポーターです。
 
 放送時間は13時35分から3分間の予定です。お聞き逃しのないようによろしくお願いします。

※予習・復習はこちらをクリック
       ↓
RCCラジオ「本名正憲のきょうもゴゴイチ」のページはこちらです

勝 さやか(かつ・さやか) リポーターのプロフィールはこちらです

もう一度おさらい、中国新聞熱血記者 山崎氏によるやぐらの記事はこちらです

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2006年3月25日 (土)

鈴が峰第二住宅の「ふれあいの水」(2)

〈前回からの続き〉
 「ふれあいの水」は静かな住宅地の集会所の裏手に昨年9月に作られた井戸で、地下40mの岩盤からくみ上げられています。ポンプや蛇口の周りは青竹できれいに飾られ、看板が取り付けられていました。
 井戸の前にいた鈴が峰小学校の男の子2人と出会い、色々話しを聞かせてもらいました。男の子たちと話しをしている間にも、ポリタンクを持って水を汲みに来る人、花を飾りに来る人、地元の人に話を聞いて鈴が峰へ向かう途中に立ち寄った登山者と次々人が訪れます。

 青竹で作った柄杓で水をいただいくと「ああ、おいしい」と声が自然と出てきました。男の子が「持って帰ったらどうですか」とすすめてくれます。「今日は何にも用意してきてないので持って帰ることができないんだよ」と答えると、1人の男の子は持っていた小さいペットボトルを空けて水を詰めてくれました。もう1人の男の子は「僕のうちはすぐ近くだからペットボトルを持って来てあげる」と走り出していきました。
 息を切らせて戻ってきた手には大きなペットボトルが2つ。こちらにも水をいっぱいに詰めて「どうぞ」と手渡してくれました。

 心が豊かになり集いの場になるようにしたいと住民がお金を出しあって作った「ふれあいの水」。その水に込められた願いを、この男の子たちはしっかり受けとめていました。彼らが見せてくれた行動には、「ふれあいの水」を大事にしている地域の一員としての「誇り」があふれていました。「町内会の役員の方を探して話しを聞いてみよう」と出かけた鈴が峰でしたが、もうその必要は感じなくなりました。

 武田山でも、保勝会の里山づくりの活動に触れて、彼らのように自ら進んで行動のできる子ども達が育ってくれたらどんなに素晴らしいことでしょう。

 福原君、坂井君。今日は君たちと出会えて本当に楽しい1日でした。「ふれいあいの水」もおいしかったけれど、君たちのやさしい気持ちがおじさんの心にずっとずっと深く染みこんでいます。家に帰って君たちの話をしていたら、うれしくてじんわり涙が出てきました。おみやげにもらった水は大切に飲ませてもらいます。ぜひ、家族の皆さんと武田山にも遊びに来て下さい。

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鈴が峰第二住宅の「ふれあいの水」(1)

 緑豊かな山に降った雨は、土中にゆっくり染み込み、何十年もかけてふもとの里村に湧き出てきます。広島市周辺の山は花崗岩質でここで磨かれた水は、鉄分や硝酸などのミネラルの少ない「軟水」で、料理やお茶、コーヒーなどにぴったりの水です。

 武田山周辺にも「安の目薬」で有名な安地区の「相田湧水」が名水として知られていました。しかし、水場の上に団地が造成され水質が悪化し、現在では飲むことが出来なくなってしまいました。
 団地造成や道路開発だけでなく、手入れされなくなった里山そのものが水質の汚染源となっているというショッキングな記事も昨年10月の中国新聞に掲載されました。

「広島の名水 7年で4割減」を伝える10/13の新聞記事へのリンクはこちらです
(この記事を書かれた筒井記者は武田山へも取材に度々来ていただき、保勝会の活動を励まして下さいました。現在は竹原支局で活躍されています。)

 その一方で、団地の中に「名水」を新しく作ってしまった人達もいます。武田山から火山へ向かう尾根筋を約15キロを進んだ先にそびえる西区の名峰 鈴が峰(すずがみね、標高312m。この武田山~鈴が峰の連山を「広島アルプス」と呼ぶ人もいます)、そのふもとの鈴が峰第二住宅の皆さんです。

 「水場の管理、維持を考える上で参考になるのでぜひ見に行きなさい」とある人に勧められ、ホームページを頼りに鈴が峰第二住宅の「ふれあいの水」を訪れてみました。

鈴が峰第二住宅のホームページはこちらです
(中国新聞の記事やRCCテレビのニュースの動画も見ることができます)

〈次回へ続く〉

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2006年3月19日 (日)

子孫に残すのが「紙切れ」ではMOTTAINAI(3)

〈 前回からの続き 〉
 里山荒廃の悪循環を、山林の提供者、登山客などの利用者、ボランティアで山林を整備する者、三者の「よろこび」の循環で変えていきたいと決意も新たにした矢先、3月10日の中国新聞朝刊に「ふれあい樹林制度」創設という記事が飛び込んできました。

 広島市が緑地所有者と保全協定を結ぶことで市民に身近な自然とふれあう場を提供し、地元住民等が維持管理をサポートする制度を創設しようというもので、今現在保勝会がすすめている取り組みとまさに軌を一にしたものです。
 土地所有者に対する経済的な支援を広島市が本当に効果的に行うことができるのであれば、現に山林等を提供して頂いている火山組、青原氏らの労苦に報いることができますし、後に続く人も出やすくなることでしょう。

 この制度がどう育っていくか保勝会としても注目しています。保勝会の活動を担当の部署に報告・紹介するなどして、ぜひ有意義な制度となるよう検討、協力をしていきたいと思います。

 「市民と市政」3/1号の「ふれあい樹林制度」の記事へのリンクはこちらです

 広島市役所の「ふれあい樹林制度」意見募集のページへのリンクはこちらです


s-chugokukiji2   ←クリックすると中国新聞の記事を拡大して表示します

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子孫に残すのが「紙切れ」ではMOTTAINAI(2)

〈 前回からの続き 〉
 火山組(ひやまぐみ)の人達の英断、それは火山組の所有する山林を里山づくりの活動の場として保勝会へ提供(=道づくりや木の伐採、登山者の立ち入りの許可)していただくことでした。
 部谷山登山道や火山ひょうたん岩登山道の敷設、火山公園の整備などこの1年間の活動はすでに皆さんにお知らせし、あるいは参加して直接体験していただいた通りです。他のボランティア団体の活躍ともあいまって、武田山の登山道や史跡周辺は見違えるようになりました。

 新しい登山道が出来て登山者もよろこび、保勝会のスタッフも充実感や達成感を味わいよろこび、そして山林を提供してくれた人達は山林を提供して単に感謝されるということではなく、「自分たちが幼少の頃見た山の景色をもう一度見れた」「子どもや孫にこんな素晴らしい山や自然を持っているのだと誇りを持って伝えられる」とよろこんでいただいています。
 水越峠にむかう途中の広場を提供して下さった青原氏、見張りやぐら再現のために杉丸太を提供して下さった川本氏と新たに協力して下さる方も続いています。

 採算に合わないと見捨てられた里山が、水源涵養、生物の多様性保護、そして人間性回復の場として大きく見直されています。登山道の周囲はきれいになりましたが、武田山の私有林の多くは、70~80歳代の人でないと自分の山がどこなのかわからない、わかっていても自身が高齢であったり道がなくて行くことができない、自分の山を整備する者が家族の中に誰もいない、という状態です。それは前回述べた里山の荒廃の悪循環の結果でもあるわけです。
 これでは山を持ってはいても、子どもや孫に伝えられるのは「紙切れ」、登記簿や権利書だけということになってしまい、これはあまりにMOTTAINAI=もったいない、ノーベル平和賞を受けたケニア副環境相ワンガリ・マータイさんが地球環境の大切さを訴えるために世界中に広めている言葉)ことなのではないでしょうか。 〈 次回へ続く 〉

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子孫に残すのが「紙切れ」ではMOTTAINAI(1)

 武田山周辺には檜や杉の林がいくつもありますが、歩いてみると吉野などの杉の名産地の杉林の写真とどこか違う、いや全然違います。

 幹の低い所から枝が横に延びてまるで魚の骨を刺したようです。木が密集して昼でも薄暗く、光が差さないので木と木の間の地面には何も生えてはいません。このような杉林の斜面を歩くと、もろくて砂がどんどん崩れていきます。
 檜や杉の苗を植え、木材として収穫するまでには長い年月と、定期的な枝打ちや間伐、急傾斜地から搬出など大変な労力が必要です。一方で国内産の木材の価格は安い外国産木材の輸入の影響で下がり続け、杉の立木価格はピークであった昭和55年の5分の1にまで下がっています。伐採した木の搬出を業者に依頼すると山林の所有者は利益が出ないどころか赤字になってしまいます。これでは経営が成り立つはずがありません。檜や杉林の荒廃を山林の所有者の責任として責めるのは無理な話なのです。
 里山のふもとの家庭では昭和30年頃までは、炊事や風呂の燃料としての薪炭造りや柴刈が行われていましたが、ガスの普及などの燃料革命や農業の機械化などで、里山に入っていくことがなくなりました。さらに昭和40年から50年にかけて松枯れの被害が拡大し里山の荒廃がより一層進んでいきました。

 武田山・火山保勝会の幹事の多くは、昭和25年に山本小学校を卒業した同窓生で今年68歳になります。生活の一部として山を利用してきた最後の世代といえる人達で、山の歴史や文化を今残しておかないと次の世代に引き継がれないという危機感と使命感で30年間休眠状態だった保勝会の活動を再開させたのでした。保勝会休眠の歴史はそのまま里山の荒廃の歴史でもあったのです。
 山が荒廃する→山を訪れる人が減っていく→登山道が笹や雑木に埋もれる→ますます山を訪れる人が減り荒廃が進む、という悪循環を断ち切るためにひとつの英断を下したのは、保勝会の幹事も何人か名前を連ねる火山生産森林組合(通称火山組、32世帯)の人達でした。 〈 次回へ続く 〉

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2006年3月17日 (金)

中国新聞紙上で種明かし

 15日の火山公園(ひやまこうえん)の作業で姿をあらわした「あるもの」の正体が、何と16日の中国新聞朝刊の記事で明らかになりました。

  中国新聞地域ニュースへのリンクはこちらです

 写真と記事は新進気鋭の山崎記者で、熱心に取材をしてくださいました。今後も武田山に熱く取り組んでいただくことを大いに期待しています。

 ところで、武田山の「銀山城」とはどんなお城だったか想像したことはありますか?私たちは「お城」と聞くとすぐ「広島城」のような立派な天守閣や大きな石垣、水を満々と湛えたお堀をイメージしますが、このようなお城は桃山時代~江戸時代に建てられた「近世」のお城です。天文10年(1541年)に落城した銀山城は、近世より昔の鎌倉時代~室町時代、すなわち「中世」の「山城(やまじろ)」でした。
 中世の山城には近世の城の特徴である天守閣も石垣も水堀もありませんでした。山の尾根の斜面を平らに削って造る曲輪(くるわ)や尾根筋に数メートルの深さのV字の溝を掘って敵の侵入を阻む「薬研堀(やげんぼり)」や山の斜面の横方向の移動を阻む「竪堀(たてぼり)」などが中世の城の特徴で、山の上に天守閣があってそこに籠もって敵と戦うのではなく、敵の侵攻を阻み、足止めをして攻撃をしやすくする山全体の構造そのものが「お城」だったのです。武田山の頂上の「館跡(やかたあと)」には柱を立てた穴などが残っていますが、これら曲輪にあった建造物は柿葺(こけらぶき)の掘っ立て小屋程度のものだったといわれています。

 …というのは講演や文献の受け売りで、実際には名前の付けられていない曲輪跡には雑木が茂り、堀の跡も多くは数百年の歳月で埋まってしまって、なかなか中世の山城の実際の姿は、山に登っても私たち素人にはイメージしにくいのが現実です。
 そこで中世の建造物を再現してみようというのが今回の企画です。去る1月7日に県内の埋蔵文化財4法人の共同企画として開催された「新春放談 初夢ひろしまの城物語」でいただいた資料などを参考に、保勝会の登山道道標のヒノキの銘板を提供していただいている山本9丁目の(有)吉野建興様に技術指導を受けながら作業を進め、今月中には中世の見張櫓(みはりやぐら)が完成する予定です。

 武田山登山の前に立ち寄っていただき、数百年の昔に思いをはせながら各史跡をめぐっていただければ、当時の武士達の息づかいが聞こえてくるかもしれません。ぜひ火山公園にお越しください。

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2006年3月14日 (火)

15日午前9時、火山公園に集合!

 武田山登山の新しい玄関、部谷山登山道入口の火山公園(ひやまこうえん)が今、賑やかです。

 長さ数メートルもある杉の丸太が数本と半分の長さの丸太が沢山公園に積まれていて、1本の太い丸太が公園の背景の斜面に既にニョッキリと立っています。
 鹿が谷から火山・ひょうたん岩に向かう登山道脇の台風で倒れた杉の木を、杉林の持ち主の川本氏から寄贈していただき、保勝会幹事が中心となって、杉の皮をきれいに剥がして2輪車に積み、火山公園まで全て人力で下ろしたものです。
 作業の中心は稲田副会長で、ロープを巧みに操りながらブレーキのない2輪車で丸太を下ろす作業は、見ていた回りの幹事から「神業」と声があがりました。

 さて、この丸太。
 火山公園に「あるもの」を建てる計画を実現させるためのものです。
何が建つのかは出来てからのお楽しみですが、明日15日、朝9時から午前中いっぱい残りの柱立ての作業を行い、3月中に完成を見たいと考えています。

 作業のお手伝いが出来る方、応援したい方は朝9時に火山公園にご集合下さい。

s-hiyamakouen   ← もうおなじみ、火山公園の場所はここをクリック

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2006年3月 6日 (月)

武田山の首飾り

 JR可部線の古市橋駅付近から武田山を仰ぎ見ると、頂上部の尖った所、2本の浅い溝が彫り込まれた平らな岩があり櫓が建っていたといわれる史跡「見張台」がある場所ですが、ここから少し下がった場所に白い角張った形のものがあるのがわかります。
 夏場には緑に覆われてほとんど気が付きませんが、この時期にはよく目立ち、まるで武田山の首飾りのようにも見えます。

 「洞窟なんですか?」「建物が建っているのですか?」と訊かれることがありますが、正体は高さ20~30メートルもある二段の大岩です。岩の真下に立って見上げるとほぼ垂直に切り立ってまるでビルのようです。公民館や区役所に置いてある「武田山ガイドマップ」などにはこの大岩へのルートは載っていませんし、岩の上は垂直の崖で転落の危険もあるので不用意に探しに行くことは決してお勧めしませんが、ふもとから眺めるだけではもったいない景観です。

 山本や祇園からの登山道だけでなく武田山には様々な登山ルート、今回紹介した大岩のようにこれまであまり紹介されてこなかったスポット、未調査で名称も付けられていない曲輪(くるわ=陣地や建物を建てるために尾根を削って作った平らな場所)跡ではないかと思われる場所がいくつもあります。
 自家用車での移動を考えるとどうしても駐車場の整備された憩いの森がスタートになりがちですし、武田山の最寄り駅というと昨年駅前に立派な看板のできたJR下祇園駅がすぐ思い浮かびますが、今年はすばりJR・アストラムライン大町駅方面からのアプローチが熱い注目を集めると大予言しておきましょう。

 もちろん保勝会の地元山本でも、前回お知らせした炭焼き釜登場に続くあっと驚く企画が進行中ですので、こちらも目を離してもらっては困りますよ。詳細は追い追い明らかにしていきますのでどうぞお楽しみに。

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