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2006年3月19日 (日)

子孫に残すのが「紙切れ」ではMOTTAINAI(1)

 武田山周辺には檜や杉の林がいくつもありますが、歩いてみると吉野などの杉の名産地の杉林の写真とどこか違う、いや全然違います。

 幹の低い所から枝が横に延びてまるで魚の骨を刺したようです。木が密集して昼でも薄暗く、光が差さないので木と木の間の地面には何も生えてはいません。このような杉林の斜面を歩くと、もろくて砂がどんどん崩れていきます。
 檜や杉の苗を植え、木材として収穫するまでには長い年月と、定期的な枝打ちや間伐、急傾斜地から搬出など大変な労力が必要です。一方で国内産の木材の価格は安い外国産木材の輸入の影響で下がり続け、杉の立木価格はピークであった昭和55年の5分の1にまで下がっています。伐採した木の搬出を業者に依頼すると山林の所有者は利益が出ないどころか赤字になってしまいます。これでは経営が成り立つはずがありません。檜や杉林の荒廃を山林の所有者の責任として責めるのは無理な話なのです。
 里山のふもとの家庭では昭和30年頃までは、炊事や風呂の燃料としての薪炭造りや柴刈が行われていましたが、ガスの普及などの燃料革命や農業の機械化などで、里山に入っていくことがなくなりました。さらに昭和40年から50年にかけて松枯れの被害が拡大し里山の荒廃がより一層進んでいきました。

 武田山・火山保勝会の幹事の多くは、昭和25年に山本小学校を卒業した同窓生で今年68歳になります。生活の一部として山を利用してきた最後の世代といえる人達で、山の歴史や文化を今残しておかないと次の世代に引き継がれないという危機感と使命感で30年間休眠状態だった保勝会の活動を再開させたのでした。保勝会休眠の歴史はそのまま里山の荒廃の歴史でもあったのです。
 山が荒廃する→山を訪れる人が減っていく→登山道が笹や雑木に埋もれる→ますます山を訪れる人が減り荒廃が進む、という悪循環を断ち切るためにひとつの英断を下したのは、保勝会の幹事も何人か名前を連ねる火山生産森林組合(通称火山組、32世帯)の人達でした。 〈 次回へ続く 〉

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