武田山名水めぐり登山会ミニ講演会記録(その2)
(その1からの続き)
選ばれた川の中でも太田川の場合は幸いにも“中流域”と書いてあったんですね。それで、私はここにこだわっているわけです。「厳密には決めていない」という返事がきたわけですから、皆さんが「武田山の大町観音水も水越名水も、太田川中流域の名水である」と、支流も含め山の尾根までが流域なんだから、そこにある水場を皆んながこうやって集まって守っていって、それで「全国名水百選太田川中流域における水汲み場」=名水だと立看板に書いて、みんなが認知し水場を守っていけばいいわけです。
この地図に記している★印の水場が、太田川の中流域における名水です。
松笠観音寺の御清水井戸(おんしみずいど)も、あるいは牛田の天水(あまず)というバス停の奥にある牛田不動院の端っこにあった街道筋の名水も、牛田不動院の中にある閼伽水(あかすい、修法に使う水)も、、、、
それから福王寺加持水と南原川源流まで、河津川方面は白木山の黄金水、三篠川の上流、向原の泣き別れ分水嶺まで、安川方面は沼田大塚観音堂観帰園湧水までが太田川中流域になってくるわけですね。
そういうふうに中流域全体の水場を全て含めてですね、中流域における名水だと、広島市民の皆んながそういう認識で進んでいって、皆んなで保存会を作って名水を守っていけば、これら全部に立看板を立てて「全国名水百選太田川中流域における水汲み場」と名のれるという訳です。
1985年(昭和60年) 全国名水百選が選ばれました。その後、実は、全国名水大会が、各県持ち回りでされているんですが、毎年「次は広島に」という希望が出ながら、「出合清水も太田川中流域も、どちらも飲めないし、どうもぱっとしないのでダメだ」という理由で見送られ続けているわけです。
たとえ今、広島で開催されたとしても、今の現状を考慮すると、地方自治体の人やら水の研究者が集まったときにですね、非常に肩身の狭い思いがするはずです。全国の名水大会に行った方がおられれば、その雰囲気はわかると思います。
全国名水大会を開催誘致していこうとすれば、「太田川中流域における水汲み場を保全し」そして「それぞれの水汲み場の歴史由来をきちんと捕らえ、水質を保つべきだ」と思います。
それからもう一枚パンフレットを配っていますが、これは2005年6月9日、RCCテレビのイブニングふぉーで「ドラゴンボール伝説」という番組が放送されました。
このパンフレットでは「龍神釜水と2つの出合清水と田所屋敷との関係」について解説しています。
この番組を録画したDVDについては、今日は観て解説する時間がありませんので、祇園西公民館の方にDVDを寄贈しましたから、皆さんもし時間があったらこのビデオを見てください。解説パンフレットも余分に置いておきます。そしてそれをご覧になられたご感想は、私の方にメールで送信(※註2)いただければと思っております。
(※註2)
錦川鯉先生のホームページのトップページ左中段の「もっと詳しい情報を知りたい」をクリックするとメールが送れます。
「錦川 鯉の名水賛歌」←こちらをクリックするとホームページにジャンプします。
予定の15分になったんですが、要するに一番言いたかったのは、全国名水百選、太田川中流域というのはこのように広範囲に水場がいっぱいありますよということです。
毎年、8.6の平和祈念式典では、原爆献水16カ所が選ばれて献水されます。その原爆献水のうちの、元原爆献水が2カ所、それから現在の原爆献水が7カ所、合わせて9カ所が太田川中流域の水場の中に含まれているということもこの地図の中に記しておりますので、再度家に帰って確認して頂きたい。
また、時間があったら訪ねてみていただき、その水場がどうなっているのか、その水場をどうすれば、今回、呉市・江田島市で起った断水の際、役に立つようにできるのか考えてみてください。
自分の地域の井戸・湧き水は、他人は守ってれません。自分達で守らないことには、よそがいくらお金をかけてやってもダメなんですよ。大金をはたいて立派な水場をつくっても地元の人が手入れしてやらないと、水場は維持できません。
今回、地元の人が動いて観音水と水越峠の水場ができたということを、皆さんよく認識して、保勝会に感謝して今日お水を飲んで帰っていただきたいなと思っております。
(その3へ続く)
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