« 観音水から弥生式土器が出土! | トップページ | 武田山水車で新年会 »

2008年1月23日 (水)

七九谷八幡水と銀山城五百年南天

 武田山の大町方面からの道は、高木さんや斉藤さん、河内谷町内会長の森さんご夫妻ら大町地区の方でまるで「競争」ように整備されています。
 他のグループが50名、100名単位の人数で行う作業以上の仕事を、それぞれお一人でやってしまうのですから感心を通り越してあきれてしまいます。登山に来た人も自分の歩いている道が実はこんな少人数の人の手によって整備されていると知ったらさぞビックリすることでしょう。
 その大町のあきれる人たちの成果「七九谷八幡水(しちくだにはちまんすい)」を皆さんはご存じですか?

 ある日、斉藤さんが電話をかけてきて「武田山からは金が採れるんかいのお?」と尋ねるので「何のことですか」と聞き返して教えてくれたのがこの八幡水です。 斉藤さんは国土交通省から依頼を受け、砂防ダム設計のための境界線確認で道のない谷や尾根も平気で歩いておられます。大町西県営住宅横から鉄塔に上がり武田山の南東尾根をめぐる登山道「鉄塔ルート」(記事末尾参照)脇の谷の岩から清水がしみ出すのを見つけて竹の樋を取り付け、道もつけてあっという間に水場として整備され、水場のある谷の名前をもらって「七九谷八幡水(しちくだにはちまんすい)」と命名しました。その竹の樋の中に砂金が一粒入っていたというのです。

S

 「武田山には銀山城(かなやまじょう)落城の際に武田氏の再興のため、家宝の金の茶釜(きんのちゃがま)を山のどこかに埋め目印に白南天(しろなんてん)の木を植えたという伝説がありますが、まさかその金の茶釜の一部ですかねえ?」と、笑いあったのが昨年春のことでした。

 ところが、ところが、まんざら笑い話しでもないかもしれない事態になってきました。昨年末から今年にかけてこの水場のある谷から下へおりれるよう高木さんらが道をつける作業をしていた時です。水場から少し下ったところで台風で倒れた木をかたづけると、木の下に太いカズラのようなものが下敷きになっていました。
 長さは15mもあるでしょうか。一定の長さの輪切りにして積む作業を続けていると「おい、これはカズラではなく南天の木じゃあないか?」と誰かがつぶやきました。倒木に押しつぶされて木自体は枯れてしまっていますが、確かに南天の葉のように見えたそうです。

 南天の木は樹高1~2mが普通です。15mとは異常な長さで、これが本当に南天だとすれば天文10年(1541年)の銀山城落城時に植えられ成長を続けてきたものかもしれません。だとすればきっとこの近くに金の茶釜も埋められているはず!

Photo  雪の中現地調査中

 本当に南天の木かどうかは、現在専門家の方に見ていただき調査中です。勝手に「銀山城五百年南天」と名前をつけて結果が出るのをワクワクドキドキしながらまっているところです。

 鉄塔ルートの取り付き口は、守田さんのホームページ「山歩きと山野草のページ」に写真入りで詳しく紹介されていますのでぜひご覧下さい。

山歩きと山野草のページのトップはこちら
http://fm1401.fc2web.com/

鉄塔ルートの紹介はこちら
http://www.h7.dion.ne.jp/~fm1401/annai/takedayama/takeda/takeda_p.htm
(七九谷八幡水への道標は分岐広場少し手前にあります)

|

« 観音水から弥生式土器が出土! | トップページ | 武田山水車で新年会 »

コメント


たとえ、それが 南天の木でなかったとしても 
がっかりしないで下さいね。
砂金は、山の神さまからの ごほうびですから!

投稿: ママ | 2008年1月23日 (水) 16時57分

結局何の木だったんですか??

投稿: | 2010年10月10日 (日) 17時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/108583/17792504

この記事へのトラックバック一覧です: 七九谷八幡水と銀山城五百年南天:

« 観音水から弥生式土器が出土! | トップページ | 武田山水車で新年会 »