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2008年3月

2008年3月20日 (木)

青原広場に「海の見える丘」誕生

Simgp2687 武田山と火山の間の水越峠入口にある青原広場

 里山環境保全みどり会の活動拠点、青原広場にあたらしい名所が誕生しました。その名も「海の見える丘」。
 この土地の所有者の青原さんの旧宅を現在山小屋として整備を進めていますが、その旧宅の裏手の小高い丘からは、谷間に市内を眺めることができ、晴れた日には瀬戸内海の船の汽笛が聞こえてくることもあります。
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 この丘を整備し、木の階段やベンチを置き、そのまま奥へ進めば、現在ある水越峠へ向かう登山道と途中で合流する遊歩道もつくりました。
 春ももう間近、武田山に来られる方はぜひ青原広場によってみてください。

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2008年3月19日 (水)

広島市の「森づくりコミュニティネット」が新年度よりスタート

 広島市は、平成19年度に導入された「ひろしまの森づくり県民税」 (広報番組の動画はこちら)の財源を活用して、平成20年4月1日から「森づくりコミュニティネット」の運用を開始します。
 この「森づくりコミュニティネット」は、森や自然に関係する市民団体の活動を紹介するためのホームページで、イベントや会員募集の情報発信を団体自らが行えるように各団体にパスワードが交付されます。情報発信に関する利用料は無料です。
 なお、操作説明会が次の日程で開催されます。

 1 日 時 平成20年3月26日(水) 14:00~16:00
 2 会 場 広島市役所2階講堂
 3 対象者 森づくり活動及び森林環境教育を行っている市民団体
        山岳・山歩き・ハイキング関係団体
        その他森や自然に関係する団体
        森や自然に関するイベント等を行っている関係行政機関職員
 4 その他 1団体あたり参加者2名以内
 5 申込先 経済局農林水産部森林担当(電話504-2249)


Spng_2 「森づくりコミュニティネット」のイメージ図

 各団体の情報が一カ所にまとまるため、これから里山整備に関わりたいと思っている人には貴重な情報源になることでしょう。掲示板を活用して団体同士の情報交換が進めば、これまでにない新たな取り組みも生まれてくるかもしれません。「広島南アルプス」のPRもこのネットでぜひ行っていきたいと考えています。

 期待が大きい反面、不安もあります。
 里山整備の活動を行っている団体には年配の人が多く、パソコンやインターネットの操作に不慣れな人もたくさんおられます。1回の操作説明会の実施だけでは、情報発信が特定の団体(コンピュータの操作に習熟した人のいる団体)に偏ってしまわないか心配です。  
 広島市にはより多くの団体がこのネットを有効に活用できるように継続した支援体制をぜひ確立していただきたいと思います。

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2008年3月17日 (月)

晴天の下、ガガラ山調査を行いました

 3月16日(日)、ガガラ山の現地調査を行い尾根を縦走しました。朝9時、アストラムライン安東駅前にまちづくりプランプロジェクト(安佐南中学校区)のスタッフ、古市・安東、祇園、安の各公民館の職員のほか各地域から総勢16名が集まりました。Imgp2780安東駅前で出発前のミーティング

 
安東駅からは、安公民館で活躍されている安郷土史懇話会の佐伯会長、峯岡さん、小山さんに引率して頂き、途中にある「安の目薬の石柱」、「旧安村役場跡」「相田の薬師堂」「萩尾山神社」の解説をしていただきました。Imgp2783安の目薬の石柱 Imgp2798相田の薬師堂Imgp2805萩尾山神社
 
 
解説の音声データ(mp3形式)
  「安の目薬の石柱」の解説はこちらをクリック
  「旧安村役場跡」の解説はこちらをクリック
  「相田の薬師堂」の解説はこちらをクリック
  「萩尾山神社」の解説はこちらをクリック 
  

 萩尾山神社で安郷土史懇話会の皆さんとはお別れし、ガガラ山の取り付き口の確認に向かいます。途中で出会った地元の方に「大町地区ではガガラ山と呼んでいますが、こちらでは何と呼ばれていますか?」と尋ねてみましたが、「特に呼び名はないですよ」という答えでした。同じ山でも地域によって呼び名が異なる場合がよくありますが、違う呼び名がないのは好都合、こちらの方にも「ガガラ山」と呼んでもらうことにしましょう。
 中電巡視路の入口を確認、道を戻ってコンクリートの階段から山に入り、尾根をいったん下って新川総合本社から入る取り付き口を確認、尾根を登り返しました。
 この日は汗ばむほどの陽気で、山道に入ると木々の花芽もふくらみ、春本番まじかを感じます。途中の武田山団地におりる分岐には、文字をきれいに彫り込んだ手づくりの標識が新しく取り付けられていました。どなたが取り付けられたものか知る人は一行の中にはいませんでしたが、このガガラ山を愛する人がいるのだと思うとうれしくなりました。Imgp2818ていねいに彫られた標識

 取り付き口から30分で昨年火事のあったガガラ山の最高峰、標高212mの岩場に到着します。目の前には権現山・阿武山の展望がひらけ、武田山の半分の高さとはいえ何ともいえない爽快感を味わうことができます。また、この岩場に立つと武田山はきれいな三角形に見え、祇園から見えるお椀を伏せた様な形とは違った風情があります。Imgp2823ガガラ山で最も高い標高212mの岩場に到着Imgp2827展望岩場で記念撮影Imgp2830ここから見る武田山は三角形で美しい

 岩場をあとにして「津谷古墳」に向かいました。先日の強風で木が何本も倒れ、以前よりさらに歩きにくくなっていましたが、木の下を潜り現地に何とか到着し、露出している箱式石棺を観察しました。
 尾根道に戻り、観音堂跡・大町観音水を通って富士団地入口の登山口へ出て、大町駅についたのは予定を過ぎた12時40分ごろでした。各公民館の職員の皆さんからまとめのあいさつをしていただき、まちづくりプランプロジェクト(安佐南中学校区)の次回スタッフ会を、4月12日(土)朝9時から古市公民館で開くことを決めて解散しました。
Imgp2847大町観音水で記念撮影。残念ながら水量は回復していないImgp2851 大町富士団地へ下山

 この日の現地調査には色々な地域の方に集まって頂き、今後連携を活かした企画が立てられるのではと大いに期待が高まっています。      

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2008年3月 8日 (土)

3月16日(日)、ガガラ山ハイキングコース(仮)現地調査をします

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 前回、津谷古墳の再発見(?)という記事をお伝えした武田山の東に位置するガガラ山。アストラムラインとほぼ平行に南北に延びる尾根は、最も高いところ(昨年11月に火事が発生した岩場)で標高212mです。

 家族連れでも気軽に登れる山として紹介されている武田山ですが、標高410.9mはやはりキツイと敬遠されるお年寄りもおられます。こんなお年寄りの方でも、半分の高さのガガラ山なら手軽に楽しんで頂けるのではないでしょうか。ガガラ山で足慣らしをして自信がついたら、武田山、その次は火山までと段々足を伸ばしていけば鈴が峰までの「広島南アルプス縦走」も夢ではありません。

 ガガラ山の大町側は、地元の人が良く整備されて、火事現場まで快適に歩くことができます。そこから先の安側は、中国電力の巡視路の部分を除くとあまり手入れがされていませんし、取り付き口もこれといった表示がないのが現状です。
 アストラムラインの安東駅から大町駅に抜けるルートとして整備すれば、帰りの心配をあまりせずに色々な楽しみ方ができるようになると思います。

 標識の設置や登山道の草刈りなどはもちろん山林所有者の方の許可が必要ですが、まずはこのルートがそういう整備に値するかどうかをまちづくりプランプロジェクト(安佐南中学校区)のスタッフや公民館の職員で歩いてみようということになりました。
  取り付き口の確認やルート上の危険箇所のチェック、分岐の確認等の作業を午前中で行う予定です。尾根筋からは少しはずれますが、津谷古墳の見学ももちろんします。興味をある方は一緒に歩いてみませんか?

 集合時間 3月16日(日)午前9時
 集合場所  アストラムライン安東駅南駐輪場前
     (広域公園方面に向かって左側へおりた所)

お断り
 すでに何回か歩いて、重大な事故につながる心配があるような所は尾根筋にはないことは確認していますが、今回は危険箇所のチェックが目的なので行動中の安全は保障できません。ケガはあくまで自分持ち、自己責任で参加できる方だけお越し下さい。

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2008年3月 2日 (日)

さまよえる津谷(つたに)古墳

 昨年11月2日に山林火災の発生したガガラ山。懸命の消火活動により被害は2アールの山林の消失に食い止められました。大町観音水を中心に大町側の登山道が整備されたガガラ山ですが、尾根はアストラムライン安東駅方面にずっと伸びており、一部は中国電力の高圧線の巡視路になっています。これまで、火事のあった岩場付近が難所で通りにくくなっていましたが、焼けた木が伐採され通りやすくなり展望もきくようになりました。
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 昨年末に、安東駅からガガラ山の取り付きを探してこの尾根を歩いた時の事です。
 途中、目薬峠の分岐の少し手前から左へ下る道をおりてみました。この道は3年ほど前にも歩いたことがあり、ビッグ安古市店(安佐南区大町東3丁目)へ抜けたはずです。測量のピンクテープがありますが普段の人通りはないらしく荒れていました。その途中の道の脇に前歩いた時には気づかなかった四角い穴があるのに気づきました。
 行ってみると幅30cm、長さが160cm、深さ30cmの石組みで一部が石の蓋に覆われています。はじめは水路の一部かと思いましたが、両端も石でふさがれていて細長い石の箱状のものです。「なんだろう」と不思議に思い写真を撮って道を下ると、ビッグに出るはずが、パーラージョイ(安佐南区相田1丁目)の前に出てきました。
 「こんな所で何をしとる?」と山道をおりてくると近所の男性に声をかけられ、これ幸いとばかりカメラの画像を見てもらいますが、「わからんなあ」とのお答えでした。
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 写真をプリントアウトしてみどり会の仲間やまちづくりプランプロジェクト(安佐南中学校区)のスタッフに見てもらうと、「昔の火葬場の跡ではないか?」「古墳の石棺ではないか?」という意見が出てきました。広島市に合併する前確かにこの近くに地域の火葬場はあったそうです。しかしこの石組みは標高150mの位置にあり、火葬場にしては位置が高すぎます。

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 古墳なら記録がないかと、広島市文化財団文化財課のホームページ「ひろしま昔探検ネット」(こちらをクリック)の遺跡地図を調べて見ると、「津谷(つたに)古墳」という名称を見つけましたが、石組みの場所とは尾根が一筋違います。この古墳についての詳しい情報の記載もありません。下山路で出会った男性(何と偶然にも職場の同僚のお父上だとあとでわかりました)や地域の人にも写真を再度見てもらいましたが新たな情報は出てきませんでした。
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 解決のヒントを与えてくれたのは図書館で借りた一冊の本でした。
 「相田地区辺の郷土史メモ」という本で、相田1丁目にお住まいの横山雅昭さんが平成6年に出版されました。横山さんのご先祖は庄屋・割庄屋を務め、当時から残された古文書をご自身がていねいに解読された貴重な資料です。
 この本の中に、安地区の古墳の一覧表があり「津谷古墳」も「円墳、箱式石棺(寸法 1.62×0.3m)、出土品は人骨、鉄刀(昭和初期頃)、古墳は消滅し、出土品も所在不明」として掲載されており、地図もありました。この本では位置が武田山トンネル出入口のすぐ上となっており、謎の石組みの位置とは異なっていました。

 しかし、書かれている石棺の大きさがぴったり一致することから、「謎の石組みはやはり津谷古墳ではないか?」との思いが強くなっていきました。「ひろしま昔探検ネット」の遺跡地図にある津谷古墳の位置は、地図で山道になっている尾根にありますが、現在この道は通ることができなくなっています。
 「藪こぎして確かめて見ようか」と思いながら、1月21日に大町観音水から出土した土器の調査に来られた広島市文化財課の岡田さん(関連記事はこちら)へ電話を掛けて「探検ネットの津谷古墳の位置は正確ですか?」と念のため聞いてみました。
 「保管してある原図を確認するので時間を下さい」と言われ待つこと数日、FAXが届きました。そこには、「インターネットの地図が間違っていました。石組みの場所が津谷古墳です」とありました。
 1ヶ月以上に渡る謎がついに解明されました。謎の石組みはやはり津谷古墳の箱式石棺だったのです。現在ではひろしま昔探検ネットの地図の位置も正しく直されています。(地図はこちらをクリック)

 長々と書きましたが、「どうだすごいだろう!」と自慢がしたいのではありません。今回の一件は、「ちゃんと資料や記録が残されているものでも、現地にそれと示すものがなければわからないし、人の記憶にも残らない」ということを教訓として私たちに教えてくれます。
 武田山周辺では多数の古墳が発掘されていますが、多くは団地造成に伴うものでほとんどが消滅しています。せっかく現在まで残されている石棺なので、たとえ学術的な価値が低くても、大町古墳同様に“まちのお宝”として、立て看板等で古墳であることを明示して、特に地元の子ども達に歴史のロマンを感じてもらえるようにするのがよいと思っています。 

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