よみがえれマツタケ山

2月22日(日)、みどり会メンバー約20名が集合し、マツタケ山の整備作業を行いました。
この日は、「午後から雨」の天気予報のあいにくの曇り空。メンバーの福原さんから作業の説明を受けて作業開始です。
これまでの約1ヶ月間の作業で、雑木とシダで覆われた放置林の伐採や草刈りを行い整備を続けてきました。この日は、表層の腐葉土を熊手やクワを使って削り取る作業の総仕上げです。
傾斜のきつい坂を下りたり登ったり、途中何度か休憩を入れて作業を進め、いったん昼食休憩。午後からの作業開始直後の午後1時過ぎから雨が降り始めたため、本日の作業はこれで終了となりました。
作業の後は、皆でマツタケ山から武田山水車小屋に移動し ご苦労さん会です。本日のメニューは、「鹿ヶ谷炭窯」で作った炭火で焼いたイカやイノシシ肉のバーベキューです。
吉野さん特製の竹筒で燗をした日本酒は香りがよくコップがどんどん空いていきます。酔っぱらってしまう前に、現地で説明していただくことができなかった日本菌類学会会員 鷹村 崗先生のキノコのお話しも伺い、マツタケ山復活の夢でご苦労さん会はますます盛り上がりました。
この日は、ひろしまケーブルテレビの山中さんが取材に来られたほか、中国新聞の岩成俊策記者が取材を兼ねて作業の手伝いに来られ、みどり会メンバーと一緒に良い汗を流しました。
水車小屋のご苦労さん会にも参加してくれた岩成記者、昨年10月の着任以来たびたびみどり会の記事を取り上げてもらいましたが、2月末で安佐南区から本社への異動されることが決まっています。他の地区への異動であれば、異動先でその地域の人たちとの人間関係を早く作ってもらわないといけないので、なかなかこれまでは声が掛けにくかったのですが、本社への異動とあれば事情が違います。
「これからも、武田山に遊びに来んさいや!」とメンバーが口々に声を掛けます。実はこの岩成記者、大学院で中世の日本史を専攻した若き研究者のホープというもう一つ別の顔をお持ちです。武田山かいわいの取材を通じて、昭和31年に広島県の史跡に指定されているものの、まだまだ未調査の曲輪跡(くるわあと)などがいくつもある銀山城(かなやまじょう)の調査にも関心を寄せています。
「研究者魂にもう一度火がついてきました!」と力強く語る彼の姿に、武田山での今後新たな発見を期待せずにはおれません。研究者としての今後の活躍が非常に楽しみです。
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