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2014年5月18日 (日)

武田山の日一斉登山、AL上安駅コースのご案内

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 5月25日の開催が近づいてきた「武田山の日一斉登山」。
今回ブログ管理人は、アストラムライン上安駅コースに初めてスタッフとして参加します。
安方面からの山登りの経験はありますが、コースの下見を何回か行ってこれまで気づくことのなかったこのコースの謎や魅力を知ることができました。いくつか紹介したいと思います。

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 まずはこちら。アストラムラインに乗って安方面から武田山を眺めると山の中腹、ゴルフ場のみどりのフェンスの隣に茶色のかなり大きな構造物があるのがずっと気になっていました。

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 一見ビルのようにも見えますが、目をこらして観察すると窓が一つもないのがわかります。「武田山のヌリカベ妖怪」とも噂されるこの構造物の正体とはいったい何か?
 下山時に少し回り道して現地を訪れる事になりましたので、解答は参加者の方ご自身で確認していただきたいと思います。

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 上安駅で出発式を行い、最初に向かうのが安川通りの手前にある「鶏頭原薬師堂(けいとうばらやくしどう)」です。昔は鶏頭院と言い銀山城主武田家の祈願所でしたが、武田氏が毛利氏に滅ぼされたのち、野村家の敷地のこの場所にご本尊の薬師如来を移してから、鶏頭原薬師堂と呼ばれるようになりました。
 この野村家のほか、村内の品川家、原田家で太平洋戦争末期頃まで作られていたあるものが、全国的に有名でハワイにまで輸出されていたといいます。
 それは一体なんだったのでしょう?当日は登山口までの町歩きの見どころの紹介を「安郷土史懇話会」の皆さんがされることになっておりますので、解説を楽しみにしておいてください!

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 鶏頭原薬師堂の石段を下ると、足元にすり鉢状の窪みがいくつもあるのが気になります。これは「盃状穴(はいじょうけつ)」といい古い神社や寺院の手水鉢や灯籠に見られるもので、主に参拝の女性たちが時間をかけて削ったといわれていますが、その目的は今では忘れられてよくわかっていません。

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 石段を降りると狭い道が東に延びています。
どこにもある路地裏のような通りですが、1400年近くも前に造られた歴史的に大変重要な役割を担っていた道なのだそうです。さて、この道の果たしていた役割とは?

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 安川通りを横断し安川にかかる「正伝寺橋」を渡って次に向かうのは「正伝寺(しょうでんじ)」です。この小さな橋は、江戸時代には庶民が渡る橋ではありませんでした。
 「御鷹野橋」とも呼ばれたこの橋を誰がどんな目的で渡ったのでしょうか?

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 正伝寺は、平安時代の中ごろ、武田山の中腹に阿弥陀寺として建てられたのが始まりで、その後、安芸国守護銀山城主・武田伊豆守信宗の菩提所となり、寺号も光賢寺(こうけんじ)と改名。それから約250年間、武田家の手厚い保護を受け栄えました。
 本堂の木扉には武田家との深い関係を示すものを見ることができます。さてそれは何でしょうか?

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 境内の幹囲が3.4mもあるクロガネモチは県天然記念物に指定されています。
このクロガネモチはある武将があるところから持ち帰ったものだと伝わっています。その武将とは?いったいどこから?

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 正伝寺を出発し、次に向かうのはニューハイツ高取の団地の一角の墓地の中にある「武田家一族之霊碑」です。
 武田氏家臣だった品川家の末裔によって建てられ、草むらの中には小さな五輪塔が放置され、武田氏滅亡の哀れさを感じさせます。ここには、武田元繁(有田合戦で戦死した武将)に勤仕した三浦新右衛門和親の墓誌もあります。
 昭和39年にこの碑を建てた佐々木清一氏は、広島なら知らない人はなく今や全国的にも有名なある会社の創業者です。さて、その会社とは?
 「武田山とつながりがあったのか! 」ときっと驚かれることでしょう。

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 東亜ハイツを抜け山道に入ってしばらくすると、左手に小滝があり、「夜珠の滝」と標識が立っています。登山道を整備した「武田山山遊会」の皆さんがコースの名所にしようと名づけたものです。
 「夜珠」とは、この地域の「安(やす)」の古い書き方で、安川沿いにある光明寺に保管されている、正安2(1300)年に武田信隆が寄進した鰐口(わにぐち=軒に吊るして打ち鳴らす仏具)にもこの「夜珠」の字が刻銘されています。
 江戸時代の地誌「芸藩通志(げいはんつうし)」に、「端午の比、殊に多く群り、川を隔てて合戦の体をなせり」と形容される、地名の由来となった夜の珠(たま)とは一体なんでしょうか?

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  平成18年度から、「正伝寺」の前身として言い伝えられている「光賢寺」があったとされる場所を、古くから地元に住んでおられる住民の方等のお話をもとに特定し、地域住民の憩いの場とするべくを持ち整備をされ、現在はきれいな広場となっています。
 まだ光賢寺が確かにあったという証拠は見つかっていませんが、平成23年にあるものが発見されました。そのあるものとは?


 上安駅コースはコースは次のグーグルマップでも確認いただけます。ストリートビューでイメージトレーニングのうえ、コース上の謎の解明を当日はおおいに楽しんでください。

より大きな地図で 「武田山の日一斉登山」AL上安駅ルート決定 を表示

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コメント

光賢寺跡、何か遺物が出土したのでしょうか?

投稿: 荒木亮司 | 2017年8月18日 (金) 19時31分

荒木亮司様、コメントありがとうございます。
登山会の報告記事をアップしなかったので、謎が謎のままになっておりましたね。失礼しました。

当日、安郷土史懇話会の方に解説していただいた動画をご覧ください。

https://goo.gl/photos/arjJPPpZMbBfyfac6

動画の中では「毎週整備」とお話しされていますが、メンバーの高齢化が進み整備が難しくなっているのが現状です。

整備の際に寺の礎石や瓦片が見つからないか期待されて探されましたが、見つかったのはビデオで報告されたものだけでした。

探すといっても、「ヤブを整備しながら注意して見る」といったものなので、本格的な発掘調査をすればもしかしたら何か出てくるかも知れませんね。

もしよろしかったら、hqj02341@nifty.ne.jp(畑野)までメールください。

投稿: | 2017年8月20日 (日) 07時37分

拝見致しました。出来れば自分も、秋頃に訪れて、何か落ちていないか捜してみます。
何かありましたら、御報告させて頂きます。

なお、武田山の南東麓で発掘された「大町七九谷遺跡」からは、弥生末~古墳時代の遺物と共に、古代の鉄鉢形土器(托鉢用の鉄鉢を模倣して作った土器)らしきものが出土している様なので、この辺りにもお寺があったのかも知れません。

投稿: 荒木亮司 | 2017年8月20日 (日) 19時26分

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