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2014年8月

2014年8月21日 (木)

新たな犠牲を出さないために自らの命を守る行動を!

 現在お住まいの地域の危険箇所および避難場所をいま一度確認し、避難経路をあらかじめ家族で話し合ってください。
 下のリンクの雨量情報で雲の動きを予測してください。異様な音や臭いなどは土砂災害の前兆です。危険をいち早く察知し、早めに避難してください。
 現地で支援をしたいと考えている方は2次被害にあわないよう、救助活動の妨げにならないよう行動してください。

国土交通省

広島市ホームページ

広島県防災Web

土砂災害ポータル広島

災害ボランティア情報

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2014年8月19日 (火)

終戦記念日に初めて気づいた「昭和15年」でつながる広島南アルプス

 終戦記念日の8月15日、断続的に雨が降る中を、一人で武田山から鈴が峰東峰までの広島南アルプスを歩いてきました。
 武田山から火山の尾根は霧に覆われ、ふもとの街並みは全く見えず、霧のせいでしょうか普段聞こえるセミの声もありません。

 もちろんお盆の最中の悪天候の中では他にハイカーが歩いているはずもありません。独りきりで進むうちに段々とまるでこの世とあの世の境を歩いているような不思議な気分になりました。

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カガラ山(標高212m)から見る霧に覆われた武田山
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武田山山頂(標高410.5m)は霧に覆われ下界は全く見えない

  そんな縦走中のことでした。
 標高488mの火山(ひやま)の山頂直前の踏み石に文字が彫り込まれているのに気づきました。武田山から向かうと最後が急坂となる火山では、いつもヘトヘトになっていて足元に注意を向けることなど、これまではまるでなかったのです。

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これまで一度も気にとめたことがなかった
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「陸軍輸送」の文字が読める

  かがみこんで見ると「陸軍輸送」と読めました。折られて短くなっていますが、広島南アルプス縦走路の見越山(315m峰)と鬼が城山山頂にある「陸軍輸送港域第一区」の標識と同じものに違いありません。

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見越山(標高315m)山頂手前の標
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は15cm角で各面に「陸軍輸送港域第一区標」「昭和十五年六月十日」「陸軍省」「第○○号」と彫られている
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こちらは鬼が城山山頂(標高282.4m)の標石

 「陸軍輸送港域標石」は、昭和15年に「陸軍輸送港域軍事取締法」に基づき設定された、”陸軍輸送港域”というエリアを示すもので、港域内では一般人の行動が厳しく規制されたということです。(過去記事も参照してください→こちらをクリック

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陸軍輸送港域図(広島県文化財協会 平成13年8月31日発行広島県文化財ニュース第170号 藤下憲明氏執筆の「近代戦争制限区域標石について(下)の中の図表を抜粋しました)

 17日に再度火山に確認に行き、昭和15年の紀元2600年記念で山本村在郷軍人会が翌昭和16年2月の紀元節に建立した「神武天皇烽火伝説地」石碑のそばに折り取られた石柱の基礎部分が残っているのも確認しました。

 なお、「神武天皇烽火伝説地」石碑が建立された経過は、当時在郷軍人会の常務理事だった益見秀男さん(故人)のお話をまとめた学習資料でを知ることができます。→ こちらをクリック (資料前半は大正15年に発生した山本水害のお話しで、火山の石碑の話しは後半にあります。)

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 神武天皇烽火伝説地碑の台石の右側の岩に接して折り取られた標石の根元が見える。以前からこちらはあるのは知っていたが陸軍のものとは思いもしなかった。

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 根元に彫られている字は「號」(号の旧字体)のように見える?

 これまで何十回となく登ってきた火山ですが、今回初めて標石の存在に気がつきました。 その日が終戦記念日だったということに何か因縁めいたものを感じ、改めて平和について考えさせられた一日となりました。

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 終戦記念日の広島南アルプス縦走は9:00にJR大町駅を出発、断続的な雨で雨具を着たり脱いだりに時間と体力を奪われ目標の鈴ガ峰西峰は断念、東峰からJR新井口駅へ到着したのは18:37

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2014年8月 9日 (土)

市の広報紙に「道の名前」の特集記事。武田山のふもとにも新しい愛称が誕生したのをご存知ですか?

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 7月20日発行の広島市の広報紙「ひろしま市民と市政 四季号2014夏」では「別の名前で愛される道」と題した特集が組まれています。新聞折り込みを見逃していて、先日図書館で記事を読みました。

 広島市のホームページでご覧になれます→こちらをクリック

 私たちの生活に欠かせない道路。国道○号などの正式名称とは別に、通称や愛称などで呼ばれ、人々に愛されているものがあります。
 そこには、地元の人々の思いや歴史、広島の魅力などが込められており、道を中心としたにぎわいづくりなども行われています。
 今回は、このように愛称で親しまれている道の一部を紹介します。地域に息づく広島の魅力を探して歩いてみませんか。

 とこの特集記事では、鯉城通りなどいくつかの通りが紹介され、通りの愛称がまちづくりに役立っていることが語られています。

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 さて、わが武田山のふもとでも、今年3月に新しい通りの愛称が誕生したのをご存知ですか?
 その名は「銀山門前通り(かなやまもんぜんどおり)」
 熊岡神社を起点に県道長束八木線を南にエネオスまでの南北約1キロの通りにつけられた愛称で、将来大町まで道路が開通したら北も視野に入れています。

 このブログでも  こちらの記事 や、こちらの記事 の中にすでに「銀山門前通り」が登場しているのですが、気づかれましたか?

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 この「銀山門前通り」の愛称にはこんな思いが込められています。

 広島が廣島になるよりずっと昔。
1200年代後半の室町時代末期。安芸の国、武田山に銀山城が築かれた。
城主は、安芸武田氏。
毛利元就によって落城するまでおよそ300年の間、ここ山本は城下町の政治経済物流の拠点として賑わった。
 江戸、明治、大正、昭和の時代を経て、平成の今、武田山に抱かれたこの地が新しい魅力を発信しはじめている。
地元の住民が地元を愛せる街へ。
市内外からわざわざ足を運びたくなる魅力的な街へ。
個性溢れるお店がここに出店したくなる街へ。
ここで育ったこどもたちが次世代まで誇りに思える街へ。
そんな想いを込めて築城1000年の2300年を目指し、この通りに名称がつきました。
 難攻不落の山城だった銀山城にはいくつもの登山道があるが、山本から上がる参道に御門(正面門)があったことに由来します。
 日本人として、今、この時代に暮らしていること。
そして、数百年後もここに暮らす人々がいることを想像し、次世代に繋がる、いい通りとして魅力を増していけるように。
 この通りの名称は、新しく名付けたというよりも、昔からあったこの土地のゆかりを再発見したにすぎないのかもしれない。
                     (銀山門前通り命名チラシより)


 県道長束八木線は30年以上も前に計画された片側2車線の都市計画道路で、最終的には長束から佐東バイパスの旧54号とJR可部線を高架で越えた交差点付近に繋がる予定ですが、全線開通のめどは立っておらず、ことにイオンモール広島祇園店が開業してからは週末の道路渋滞が目立つ進まない道路計画の代表としてあまり良いイメージは持たれていないようです。
 しかし、上のチラシの文言では数十年の道路工事の遅れなどちっぽけな問題に感じる西暦2300年までのまちづくりを視野に入れた勇壮にして痛快な計画が語られており、これまでのイメージを一掃させるパワーがあります。

 「銀山門前通り」の愛称は、山本のused select shop「 RiCKLE!」の空本さん、スイーツ&ランチのお店「harvest time」の杉田さんら通りに面したおしゃれなお店の若い意欲的な店主の皆さんの積極的なPRによって、徐々に広まってきています。

 現在、道路沿いに植えられている街路樹(アメリカフウ)や植栽(シャリンバイ)はどこにでもある普通のもので特徴のない風景をつくりだしていますが、これを通りの名前にふさわしい武田山にちなんだものに替えていったらどうだろうかと想像もふくらみワクワクしてきます。

 みどり会でも口コミや行事のチラシで積極的に取り上げ協力していくことを定例会議で確認しています。これからどんなまちづくりが進んでいくのか目が離せませんね。

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2014年8月 4日 (月)

峠とは生きるためのエネルギーの象徴だ!

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 8月3日、沼田公民館で沼田公民館、権現峠の自然をまもる会主催の講演会「峠を歩く ~沼田町域を中心に~」が開催され、みどり会からも二井屋田副会長ら5名が参加をしました。
 当ブログ管理人はみどり会仲間のOさん、Iさんと一緒に畑峠を越えて会場へ向かいました。

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 公民館に行く前に、まもる会の皆さんが昨年アストラムライン伴中央駅前に建てられた立派な案内板を見学しました。

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 講師の郷土史研究家 大坂佳照(おおさか よしてる)さんは、2冊の本も出されている元高校の先生で、県内の主要な峠はすべて歩かれているそうです。

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 峠の呼称や独自に分類された峠の種類(拡張発展型、生活道型、懐古型、機能喪失型)など説明されたあとで、沼田町域の11の峠について約1時間半わかりやすい語り口で説明をされ、あっという間に時間がすぎました。
 元々、健康のためにはじめられたという峠歩きだそうですが、峠の歴史や文化を調査する中で「生きるためのエネルギーの象徴が峠なのだ」という結論に至ったと話される大坂さんの言葉に、里山整備のさまざまな活動やイベントを通して現代人がどこかに置き忘れてしまった人間性を取り戻したいと願っているみどり会のメンバーは皆、共感と感銘を覚えました。

 「ぜひ山本、祗園方面、広島南アルプスの山なみにある峠についても、お話を伺いたいですね!」と帰りの車中で大いに盛り上がりました。


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2014年8月 1日 (金)

2014被爆水琴窟に注ぐ原爆献水

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 「あっぱれ!熟年ファイターズ」の武田山特集(平成26年5月17日放映)にも登場した名水フリーライターの錦川 鯉さんの呼びかけで、「2014被爆水琴窟に注ぐ原爆献水」が7月29日に原爆ドーム前で行われ、みどり会の仲間の高木さんと「あっぱれ!…」でも紹介された武田山の名水「大町観音水」と武田の殿様のお茶水と伝わる井戸「清水川」の水を持って参加しました。

 69年前、たった一発の原子爆弾によって広島の街は壊滅しました。地上600メートルで炸裂した爆弾は直径280メートル、中心温度100万度の火球を出現させ、地表面の温度は3000度~4000度にも達しました。強烈な熱線と放射線、超高圧の爆風が人々を襲い、生きたまま焼かれ「水をください、水をください。」と水を求めてうめきながら多くの人々が亡くなられていきました。

 広島市は、昭和49年から8月6日の平和記念式典の前に市内の名水やきれいな沢水(現在は市内17か所)を慰霊碑にささげる「原爆献水の儀式」を行っています。
 錦川さんは平和公園を訪れる世界の人々が、自分の住んでいる町のきれいな水、名水を供え、原爆の犠牲となって人々の霊をなぐさめ命の水を通して平和を考えると同時に自分たちの環境を考えてもらえるような「献水台」設置の提案を広島市に続けています。

 錦川鯉さんのHP「錦川鯉の名水讃歌」
 ヒロシマの原爆献水のあるべき姿 をご覧ください。

 爆心地から3.2km離れた黄金山の麓の民家にあった水瓶を譲り受けた錦川さんは、この水瓶で移動式の「水琴窟(すいきんくつ)」を作り、毎年8月6日前に、各地から寄せられた名水を合わせ水にして平和公園を訪れた皆さんに水琴窟に注いでもらい鎮魂の水音を聞いていただき、献水台の必要性を訴える活動を行っています。

 7回目となる今年は、外国から来られた皆さんに積極的にPRしようと外国のナチュラルウォーターも取り寄せ、英語のリーフレットも作成しました。外国の方の目を引きやすいようにと考えて和服に身をつつんだ参加者もいました。

 セミの鳴き声が降りしきる暑い日差しの下、約500名の皆さんが鎮魂の水音を響かせました。

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